子どもの不安に向き合うことは、自分と向き合うことだった

心との向き合い

子育てをしていると、ふいに、あの頃の自分と重なる瞬間がある。

子どもの姿に、小さかった頃の自分を見る。
忘れていたはずの気持ちが、ふっと蘇る。

それは、嬉しい記憶ばかりじゃない。
できれば思い出したくなかった、ちくりとするものもある。

ある日、娘の一言で、私は幼い頃の自分に引き戻された。

7歳の娘が私の近くにそっとやって来る。
「お母さん。なんか足が痛いの。」
「どこ?何をしたの?思い当たることある?」
私は娘を見ながら問いかける。
心のなかでは、(またか)と正直呆れながら。

また大げさに言っている、そう思っていた

心配性な娘は、ちょっとしたことが大事件になりがちだ。
足が痛い、指の皮がむけた、なんだか赤くなってる、ヒリヒリするような気がする。
見てみるとなんてことはない。
おかしなところが見当たらないこともざらにある。

最初のうちは気にもしていなかった。
「何もなってないよ。」
「切れてるけどすぐに治っちゃうよ。」
「大丈夫だよ」
あまりにも頻繁に言いに来るので、こんなに心配性で大丈夫だろうかと、こっちが心配になる程だった。

しかし、心配に感じていたのは最初だけ。
「今度はどうしたの!?」
「大丈夫って言ってるでしょ!」
「そんなに心配なら病院行く!?」
また大げさに言っている。
そう感じるようになった。

6歳の息子が「お腹すいた!」と騒ぎ出す夕暮れ時。
バタバタと忙しくしていた時、再び娘が近づいてきた。
(さっきまで楽しそうに遊んでたのになんでよ!)
そんな気持ちがピークに達した私。
眉間にしわを寄せ、娘をキッと見返して出た言葉。
「そんな事気にしなくていいから!考えすぎ!!」

その小さな声は、あの頃の私だった

あっと思った時には、もう遅い。
「痛いの……。」
小さな声で訴える娘。
そこには、娘と同じ頃の私がいた。

娘は嘘をついていない。
無意味に私の気を引こうとしているわけでもない。
それはずっとわかっていた。
なぜなら、あの頃の私もそうだったから。

本当に痛い、気になる、不安になる。
その気持ちを、この子は誰かに、目の前の母親に、受け止めてもらいたいんだ。
一緒に確かめて、「大丈夫だよ」と隣にいて欲しい。
ただそれだけで、安心できる。

「大したことない」の、本当のところ

「大したことない」
本当に大したことがないのだろうか。
あの頃の自分を振り返っても、やっぱり痛くて苦しかった。
でも、大げさと言われればそうなのかもしれない。
信じてもらえない悲しさと、私は大げさでおかしいんだという恥ずかしさ。
段々と、「自分なんて……」と考えるようになった。

目の前の人物の「当たり前」を探し続けると、自分は間違っているのかもしれないと感じ始める。
静かに少しずつ、でも着実に、自分への不信感は募っていく。
子ども心に、しんどいなと感じたあの頃を、自分が子育てをするようになってふと思い出す瞬間がある。

今目の前にいる娘は、あの頃の私だ。
私は今、親の立場で、娘の不安は大したことがないと決めつけている。

眠る前の、小さな約束

布団の中の、眠る前の穏やかな時間。
私は娘に問いかけた。
「痛いところどう?」
「うーん。大丈夫になった。」
「そっか。良かったね。さっきはちゃんと話を聞かずに怒ってごめんね。」
「うん。」
「忙しくて、またかと思って思わず怒鳴っちゃったよ。また痛いところがあったら教えてね。」
「でも、またお母さん怒るかも。」
「あり得るかも……。また忙しくて怒っちゃう時があるかもしれない。でも、あなたのことを信じてないわけじゃない。ただお母さんに、ちゃんと話を聞いてあげられる余裕がないだけ。次は怒鳴らないよ。」
「わかった。そしたら、別の時に話しかけるね。」
「お母さんも、いつ見れるか言うよ。ありがとう。」

娘は、私に抱きついていつの間にか眠っている。
(ごめんね。)と思いながら頭をなで、私は残りの家事を片付けに、布団を抜け出した。

子育ては、自分を見つめる旅

私は娘にとって、どんなお母さんなんだろう。
完璧でありたい、お手本になれる人でありたいと願っても、現実は失敗の連続だ。
きっとこれからも、余裕をなくして怒ってしまう日があるだろう。

その度に、子ども達に過去の自分を重ねてしまう。

痛い、しんどい、疲れた。
そんなマイナスな感情を抱く時、私はいつも考えていることがある。
(私は他の人達より努力しないといけない)
だから、しんどいと感じているうちは、まだやれる。

弱音を口にすることは弱いことで、大げさなこと。
私はそういう人間だ。
これが、私の自分に対する評価だった。

でも、娘は違う。
この子の感じている痛みは本物で、私に助けて欲しいと訴えている。
大げさでも、気を引きたいわけでもない。
ただただ、感じている不安を受け止めて欲しいだけなんだ。

あの頃の私はどうして欲しかったんだろう。
本当に痛くて辛くて不安だったんだろうか。

その答えは、目の前の娘が持ってきてくれた。

私の子育ては、自分を見つめる旅でもある。
失敗を繰り返し、過去の自分に再会し、なんとか母親をやっている。

私は娘の声に耳を傾ける。
彼女が自分の気持ちに自信を持てるように。
私は自分の気持ちを素直に口にする。
娘が安心できるように。

私は子ども達と育っていく。
お互いの気持ちを大事に想いながら。

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