誰が来てもいい。
そう思っているのに、心のどこかが、少しずつ疲れていく。
子どもが生まれてからずっと、人との距離感に悩んできた。
近すぎてもしんどい。でも、線を引くことには、どこか罪悪感がある。
断ることは、意地悪なんだろうか。
誰かを選ぶことは、仲間はずれなんだろうか。
公園という「みんなの場所」で、私はその問いに向き合うことになった。
子どもの成長に応じて、過ごし方は変化していく。
私にとっての大きな変化は、放課後の過ごし方だった。
元々公園に行くことが大好きな子ども達。
宿題を大急ぎで終えて、公園に行く。
それが私たち親子のいつもだった。
何も考えずに過ごせる親子時間。
あとどれくらいできるのか。
1日1日を大切に想いながら過ごす日々に変化が訪れたのは、本当に突然のことだった。
「今日公園行くんでしょ?!」が広げた世界
「おかあさーん!!」
娘と息子が大きな声を出しながら走ってくる。
「おかえり」
そう言う間もなく子ども達から出た言葉は、
「今日公園行くんでしょ?!」
「宿題終わったらね。」
といつものやり取りをする私たちに、娘のお友達が近づいてくる。
「公園行くの?」
「宿題終わったら行くよ。」
それを聞くと駆け出すお友達。
母親のところへ行き、「公園に行きたい」と話し始めた。
周囲の保護者には、私がほぼ毎日公園に行っていることは知られていた。
娘と息子が毎日のように
「今日、公園に行く」
と言って歩けば当然のことだ。
お友達から直接、一緒に行ってもいいか聞かれることも増えていった。
私はその度に、
「宿題終わったら公園に行くから、来れる時に来てね。」
と伝えていた。
「公園はみんなの場所」
そんな思いから、特に断ることもしなかった。
広い公園ということもあり、会えたら遊ぼうという軽い感覚。
各家庭、放課後の過ごし方も様々だろう。
子どもが行きたいと言ったからと言って、必ず来ることができるとも限らない。
気軽に過ごしたかった私は、保護者の連絡先を積極的に聞くことはしなかった。
毎日ハッピー……とはいかなかった
小学校に入り、子どもを介して一気に広がった交友関係。
忙しくも楽しい毎日、たくさんの子ども達の笑顔。
毎日ハッピー……!
そうなれば良かったのだが、現実はもう少し複雑だった。
最初は少人数のお友達。
ところが、友達が友達を呼び、いつの間にか大所帯になっていた。
名前を知らないお友達、挨拶をしたこともないママ、小さな兄弟を連れてきているママもいる。
あまりの急展開に、私の心はパニックになった。
公園遊び用に準備していたおやつや道具の負担が増え、見守りも難しくなり、少しずつモヤッとした気持ちが募っていく。
「来れる時に来てね」の、本当の意味
こんなに大勢のお友達と、思い切り遊べる時間はそう多くない。
娘と息子にとって、貴重な体験、良い思い出になるだろう。
公園に響き渡るたくさんの笑い声。
きっと私にとっても、忘れられない時間になる。
こんな時間を大切にしてあげたい。
公園はみんなの場所だから、みんなで楽しく過ごしたい。
そう思う気持ちは本当だ。
でも、私は自分の子どもの責任を取ることでいっぱいいっぱいだ。
「来れる時に来てね」は、「いつでも(あなたの子どもを)見てあげるよ」という意味ではない。
怪我の手当をすることも、喧嘩の仲裁も、みんなでおやつを食べることも、嫌ではない。
私が考えすぎなのか、心が狭いだけなのか……。
私が何もしなければ、無難に終わって行くのだろうか。
あの子達の笑顔を見ていると、温かい気持ちになる一方で、疲れ始めている自分もいる。
自分はどうしたいのか、どんな付き合いがしたいのか。
考えても答えが出ない。
自分の頭の固さにうんざりする。
でも、これも私なんだ。
ひとりで探してきた答え
「大丈夫?」
ふうと息を吐く私の隣で、ママ友のNさんが声をかけてくる。
公園遊びで仲良くなった彼女。
今では「来週もいつもよろしく!」と約束する仲だ。
子ども達も仲が良く、プライベートでもよく遊んでいる。
「うん。あのさ……」
と言いかけた時、
娘とお友達が飛び込んできた。
娘のお友達が、私を見上げる。
「ねぇ!また一緒に遊べる!?」
娘は私に抱きついて、
「今日、いっぱい遊べて楽しいね!」
二人は顔を見合わせて笑った。
「ねー!」
子どもらしいやりとりに、思わず笑いそうになる。
そんな笑顔で言われたら、この場を守りたいと思うのは、私だけではないはずだ。
隣で、「かわいいなぁ」とつぶやく声が聞こえる。
子どもの小学校入学をきっかけに広がった、私たち親子の世界。
自分達のことだけを考えていれば良かったあの頃から、ずいぶん遠くに来てしまったような気がする。
どうしたら、私は楽しく過ごせるんだろう。
これまで1人で探してきた答え。
でもこの先は、1人ではないのかもしれない。

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