言葉は、あたたかくもあり、時に鋭く人を傷つけるもの。
母になってから、私は言葉の力を何度も思い知らされてきました。
小さな子どもたちが発する言葉、真似して覚えていく言葉。
そのひとつひとつが、心を育て、世界を広げていく。
けれど、ある日気づいたんです。
「良い言葉」だけでは、生きていけないということに––。
「この子を守り抜く」――母としての始まり
「かわいいなぁ。泣いてる姿も、全部かわいいなぁ」
私は母になり、今までにない幸せを感じていました。
この世に誕生して初めて息を吸った小さな命。
娘が小さな体で振り絞る大きな声。
初めての言葉を聞いたあの日。
必ずこの子を守り抜くと誓いました。
娘はよく泣く子でした。
常に抱っこ。寝る時も抱っこ。
まるでコアラのようだと思いました。
あの頃の娘は、私に何を伝えてくれていたのでしょうか。
全く余裕のなかった私は、とにかく生かすことに必死でした。
言葉を覚える娘、あふれる喜びの毎日
1歳になると、起きている間は常におしゃべり。
「あうあうー」「ひゃー」
本を開けば「こえ!こえ!」と指を指し、興味津々。
大人が話すと、顔をじーっと覗き込みます。
口の動きを真似して動かそうとする姿に、
「この子は話したいんだな」と思いました。
娘の欲求に全力で応えたいと思いました。
「楽しい」「嬉しい」「悲しい」「怖い」「驚き」
いろいろな感情を知ってほしい。表現してほしい。
娘の前では大げさな身振り手振りで、言葉もいろいろな表現を使いました。
言葉は娘の世界を広げてくれる。
どんな感情も思い切り表現させてあげたい。
私は娘とのおしゃべりに夢中でした。
息子の誕生と、「優しい言葉」に包まれた日々
娘が1歳2ヶ月の頃、息子が誕生しました。
娘が息子の顔を覗き込み、「こえ、こえ」と指を指します。
思わずスマホを取り出す私。
映し出された写真を見て、2人が会話する様子を思い浮かべました。
娘が幼稚園に入るまでの数年間、私はとても優しい言葉に包まれていました。
過去の職場での出来事を忘れてしまうくらい。
大人とちゃんと会話できるか不安に感じるくらい。
忙しくも、充実した毎日でした。
息子が2歳を過ぎる頃、我が家はだいぶにぎやかになっていました。
「何やりたい?」––「おんも行く」
「お着替えしようか」––「じぶんで!」
「これみて!ちょーちょいた!」
聞いたことに答え、自分からも話してくれる。
娘同様に言葉に強い興味を持っていた息子。
2人とも、自分の気持ちを伝えるようになるまで、そう時間はかかりませんでした。
子どもの成長の速さに、驚きと喜びを感じる日々でした。
「強い言葉」を使ってしまう自分に気づいて
その一方で、自分が口にする表現に不安を感じることもありました。
「嫌だ」「やりたくない」「やめて」といったマイナスの感情もたくさん表現するようになった子どもたち。
「もう知らない!嫌い!」
「いいんだね!〇〇しないならこうするよ!」
自分がついかっとなって出た言葉。
脅して言うことを聞かせようとした強い言葉。
それを……使っている。
子どもの言葉に、不安を感じたあの日
子どもたちが幼稚園に行くようになって、私はますます不安になりました。
「やばい!やばい!」
「そうじゃねーよ」
「バカじゃないの」
家事をしている時に聞こえてきた2人の会話。
「えっ!?ちょっと!」
思わず声をかける私に、2人はきょとんとした顔。
意味もわからず、なんとなく使っているようでした。
「悪い言葉」を遠ざけるだけでは、守れない
言葉でトラブルを経験した私。
子どもたちには「いい言葉」だけを聞かせていたい。
そんな思いから、子どもたちを過剰に守ろうとしていたのかもしれません。
テレビもインターネットも子ども向けのものだけに限定し、常に優しい言葉にふれるよう気をつけていました。
しかし、それができるのは幼い間だけ。
これから、この子たちはいろんな人と出会い、たくさんの表現に出会っていく。
私自身、感情的に悪い言葉を使うこともある。
聞かせない、教えない、制限をする––これでは子どもたちを守れない。
そして、いつか誰かを傷つけてしまうかもしれない。
言葉の奥にある「気持ち」を見つめて
言葉を使うのは人で、そこには必ず気持ちがあります。
誰が、どんな思いで口にするかで、同じ言葉でも全く違う意味になることも。
だからこそ、言葉そのものを遠ざけるのではなく、その奥にある気持ちを感じ取れるようになってほしい。
そう思うようになりました。
息子が教えてくれた、「やさしさ」のかたち
幼稚園に通う間、娘と息子が共通して話してきた出来事があります。
それは、お友達に「(遊びに)入れてやらない」と言われた、ということ。
布団の中で悲しそうに話す子どもたちが印象的でした。
そんなある日の、息子との会話です。
「その時、あなたはどうしたの?」
「もう1回、いーれーてって言った」
「そしたら?」
「だめ!って言われて押されたから先生に言った」
「先生に言えたの、えらかったね。
お母さん、困ったら先生に相談してって言ってたのを覚えてたんだね。頑張ったね。
だめって言われてどう思った?」
「いやだった。だって、何もわるい事してない。先に遊んでたのは、オレだった。」
「そうか。突然お友達が来て、あなたをどかしたのね?合ってる?」
「そう。もう嫌だ!」
「それはびっくりしたし悲しかったね。どうしてお友達はどかしてきたんだろう」
「わからない。……でも、オレが使ってたおもちゃ取られた。」
「そのおもちゃが欲しかったのかな。」
「たぶん、そう。でも、オレ、まだ少ししか使ってない。」
「そうなのね。お友達も、あなたに貸してって言えたら、良かったかな?」
「でも、まだ使ったばっかだった!」
「そうね。あなたもまだ遊びたいもんね。
お友達は、使いたい気持ちでいっぱいになっちゃったのかもしれないね。前にも同じことあった?」
「ある。いつも取られる。オレばっかり、もう嫌だ!」
「何回もあると嫌になっちゃうね。あなたが遊んでるのを見ると、おもしろそうに見えるのかな。」
「……え?そうかもしれない。でも(おもちゃをとるのは)良くないよ」
「その通りだよ。あなたがされて嫌だと思ったら、嫌だと言っていいんだよ。
もしそれでもやめてもらえなければ、先生に言う。それでもだめなら……。どうしようか?どうしたい?」
「押されるの嫌だし、他の遊びするよ。」
「そうね。嫌だと思うところから、離れてみるのもいいかもしれない。
他に、楽しいことがあるかもしれないしね。」
「でも、なかったら?オレは、取られたおもちゃで遊びたかったのに。」
「そうだね。あなたが我慢してばかりもおかしいよね。
だけど、あなたはまた新しく楽しめるものを見つけられると思うよ。」
「うーーん。でも、嫌だったんだよ。」
「わかるよ。嫌な思いをしたけど、やり返さなくて、あなたは立派だった。頑張ったね。」
息子はお友だちとの関わりの中で、小さな、でも心の痛い経験を積み重ねていきました。
1年がたち、仲良くなるお友達もいれば、クラス替えで程よい距離ができ、また仲良くなったお友達もいます。
「入れてやらない」その言葉の奥にあったもの
お友達の「(遊びに)入れてやらない」には、隠されたお友達の気持ちがありました。
「そのお友達は悪いね」
この一言を息子に伝えていたら、きっとお友達の気持ちに気づかないままだったでしょう。
息子も「またやられた!あの子嫌い!」そんな気持ちを抱えたままだったかもしれません。
「また、お友達が入れないって言ってきたよ!」
そんな息子に私は問いました。
「それで、あなたはどうしたの?」
「別の遊びしたよ。本当は遊びたかったけど、ブロックででっかいロボット作って楽しかった!」
悔しい思いをしながらも、自分の気持ちに向き合い前を向いた息子。
その姿に、自信をつけて自分の足で立っている力強さを感じました。
ニカッと笑う息子の笑顔が、なんだかとてもかっこよく見えました。
「良い」「悪い」では語れない、言葉の世界
「良い・悪い」では区別をつけられない――それが言葉の魅力であり、怖さなのかもしれません。
自分自身が言葉に迷い、子どもの言葉に迷い、たどり着いた答えです。
言葉は、知っているだけでは足りないし、ただ使うだけでは伝わらない。
工夫をすることで初めて想いを届けることができる。
そんなふうに考えています。
優しい言葉を選べる人でありたい
私はこれからも、子どもたちとたくさんの言葉にふれていきたいと思います。
相手の心を想い、自分の心と向き合い、想像することで「優しい言葉」を選択できる。
私自身も、子どもたちも、そんなひとでありたいと願っています。
もしあなたが言葉に疲れてしまっているのなら、
一緒に「優しい言葉」を探してみませんか?

コメント