両親のケンカに怯え、いつも空気を読みながら育った子ども時代。
気づけば私は、人の顔色を伺うのが得意になり、笑顔を“武器”にしていました。
けれどその笑顔は、やがて本当に私を救い、周りの人とのつながりを育んでくれるものになっていったのです。
笑顔を“武器”にしていた子ども時代
「ガシャン!!」
「あぁ……今日もだ。またケンカだ。」
私の父は短気でした。
しかも、どこに地雷があるか分からない。
怒鳴り声が響き、モノが飛ぶ。
母はそんな父の愚痴を四六時中こぼしていました。
小さな私はただ怯えるだけ。
やがて空気を読むようになり、両親それぞれの愚痴を聞く生活に。
弟が2人いた私は、「私が守らなきゃ」と常に思っていました。
強くいなければ——そう奮い立たせながら過ごした子ども時代。
気づけば「人の顔色を伺う」ことが得意になっていました。
人の顔色を伺うクセがもたらしたもの
「いつも元気だね」「悩みがなさそう」
よくそう言われましたが、実際は違います。
心の中は「迷い」ばかり。
「この人は何を考えているのか」
「何を望んでいるのか」
「どうしたら相手に嫌な思いをさせずに済むのか」
そんな私が生み出した座右の銘は——
「笑っていれば良いことあるさ」。
辛いとき、どうしたらいいか分からないとき、
心の中でその言葉を唱えました。
笑顔でいることが、私の最大の防御であり、武器だったのです。
笑顔が本当に私を救ってくれた瞬間
しかし、社会人になった私は人間関係でとても苦労しました。
「笑顔でいること」や「人の顔色を伺うこと」は、思った以上に大変で、
社会という複雑な人間関係の中では、ただただ自分を消耗させてしまいました。
この体験は私の心に、「人は怖い」という感覚を強烈に刻みつけました。
座右の銘すら忘れ、
「私は今、ちゃんと笑えているだろうか……」と、いつも気にするように。
子育てを通じて得た安心感と気づき
その後、結婚し子どもが生まれ、私の人生は少しずつ変わり始めます。
子どもを通して出会った多くの人たちが、私に自信を与えてくれました。
公園で出会ったおじいちゃんやおばあちゃん。
幼稚園の先生方。
最初のうちは「笑顔でいなきゃ……!」と自分を奮い立たせていました。
でも、笑顔で声をかけてもらううちに——
「今の私でもいいんだ」
「私の子育ては間違っていなかったんだ」
そう思えるようになったのです。
気の合うママ友にも出会い、気づけば楽しくて心から笑える時間が増えていました。
自然と周りに人が集まり、私も笑顔でいる時間を楽しめるようになりました。
笑顔がつなぐ、人との関係
それでも今もなお、私は「人は怖い」と思い続けています。
両親のケンカ、人間関係……経験が積み重なり、人の心を信じられなくなった私。
疑う気持ちはすぐには消せません。
けれど今は——
「私の前にいる人が、安心して話せる相手でありたい」
そう思うようになりました。
以前は自分に言い聞かせるために唱えていた、
「笑っていれば良いことあるさ」。
今では、この言葉は私の背中を押してくれる一言になっています。
心からの笑顔は、きっと誰かを安心させる。
そんな“笑顔の輪”を広げていけたらと願っています。
これからも、自分のために、そして大切な人たちのために、
私は笑顔でい続けたいです。
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