あの頃の私は、まだ言葉を信じていた。
思ったことをまっすぐ伝えれば、きっとわかってもらえると信じていた。
けれど、その言葉が誰かを傷つけたり、思いもよらない形で広がったりすることを、
私はまだ知らなかった。
これは、そんな「はじまりの日」の話。
迷いの中で始まった社会人生活
「今日からよろしくお願いします!」
初めて出勤する職場。
私は緊張していました。
「どんな人がいるんだろう」
「仕事、ちゃんとできるかな……」
大学卒業後、就職活動がうまくいかなかった私。
「正社員じゃないとか、気にしてる場合じゃない」
そう思って、偶然目についたパート募集に飛びつき、無事に働けることになったのです。
この頃の私は、社会人としての第一歩につまずいてしまい、自信をなくしていました。
自分が何をやりたいのか見失い、「慌てずに探そう」──そう思っていました。
お局さんとの出会い
私が勤めることになったお店は、正社員の店長以外は全員パートさん。
店長は数店舗を兼任しており、不在がちでした。
パートさんは、私よりも二回り以上年上の女性たち。
その中に、10年以上働くSさんがいました。
Sさんはいわゆるお局さん。
店長よりも経験が長く、店舗では店長のような存在として、皆を引っ張っていました。
最初の印象は、
「皆頼りにしているんだなぁ」「困ったらSさんに聞けばいいんだな」
といったものでした。
けれど、勤め始めて一週間もたたないうちに、違和感を感じ始めます。
仕事中の私語が多い
プライベートなことを深くまで聞いてくる
「〇〇さんはね」という話が多い
正直なところ、かなり苦手なタイプ。
でも社会人経験の少ない私は、「社会に出たらこういう付き合いも必要なのかも?」と考えていました。
聞かれることに素直に答え、「そうなんですね!」と相づちをうっていました。
言葉がすれ違い始めた日
仕事にも慣れ、ある程度ひとりでこなせるようになった頃。
「ねぇねぇ」
と、Sさんの一番の取り巻きであるMさんに声をかけられました。
「△△って、言ってたんだって?」
不意に投げられた質問に、頭の中は「???」でいっぱい。
「え?」と答えた私に、間髪入れず次の言葉が飛んできます。
「気をつけなよ。良くないよ、そういうの。皆知ってるからね。」
「なんのことですか?」
まるで聞こえていないかのように、すっといなくなるMさん。
こんなことが数回続きました。
そんな中で知った、Sさんの本性。
それは、他店からも要注意人物として知られ、
「いじめをして何人も辞めさせてきた」というものでした。
今、私がターゲットになっている……。
そう気づいた時には、もう手遅れ。
職場は私の噂でもちきりになっていました。
当時流れていた噂は、身に覚えのないことばかり。
私のプライベートに関するものまでありました。
中でも最も私を悩ませたのは、身に覚えのない発言でした。
「今日は大変でしたね。疲れました。」
──そう言えば、
「もうこんな仕事嫌だって言ってたよ」
ミスをして、「誰に教えてもらったの?」と聞かれ答えれば、
「〇〇さんに間違ったことを言われたせいにしてる」
そうやって、言葉はどんどん変換されて広められていきました。
あまりにも身に覚えがない内容に、謝ることもできません。
やがて私は、
「あの子は素直じゃない」「はぐらかして、嘘をつく」
と誤解されるようになっていきました。
沈黙が唯一の防衛になった
ここまで来ると、希望休を取るのも難しくなります。
どんな理由で希望を出しても、
「どうせ遊びに行ってる」
と悪いことのように言われました。
どうせ間違って伝わるなら──と、私は休みの理由を言わないようにしました。
締切の直前に記入し、提出する。
そうすることで詮索を避けたのです。
「何も言わない」。それが正解だと思っていました。
だから私は、ひたすらSさんの話を聞くことに集中しました。
しかし、それも間違いだったとすぐに気づきます。
「うん、うん」
「そうですね」
「そうなんですね」
聞き流すように返事をしていた私。
その返答が「同意している」と捉えられ、
知らない間に私が他人の悪口を言っていることになっていました。
何を言っても、自分を苦しめる矢になって返ってくる──。
Sさんから始まった噂はMさんへ、そして他の人へ。
まるで伝言ゲームのように、人から人へ渡り歩く言葉たち。
最初とはまるで違う姿になって、私のもとへ戻ってきます。
職場の人数は10名にも満たない少人数。
なんとなく派閥がありました。
Sさん派か、そうでないか。
私を理解してくれる人もいましたが、
マイナスの意見は、プラスの意見よりもずっと大きく聞こえてしまうもの。
初めての経験に、どうしたらいいんだろうと、
ひとりで悩む日々が続きました。
学生の頃は、友達とおしゃべりをしたり、講義で議論をしたり。
笑いあい、お互いを高め合うために使ってきた言葉。
ところがここでは、言葉で人の笑顔を奪い、容赦なく心を傷つけていきます。
言葉の力に気づき、怖くなった私。
そこからさらに、坂道を転がるように落ちていきました。
お客さんの「言葉」に救われた
ひとり、ぽつんと暗闇に取り残されたような気持ちだった頃。
そんな私の闇を、パッと晴らす瞬間がありました。
それは、お客さんの言葉でした。
「ありがとう」
「あなたに相談できて良かった」
「頑張ってね」
言葉で落ちて、言葉に救われる。
私が選ぶ言葉は、間違っていないんだ。
そう確認しながら、恐る恐る一歩を踏み出していました。
言葉の持つ優しさ、そして鋭さ。
私は、優しい言葉を大切にしていきたいと思います。


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